はらぺこ本の虫

読んだ本をゆるーくご紹介。ジューシーな文章が大好物です。

こころの対話 25のルール

「こころの対話 25のルール」

伊藤守


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実兄のような10歳上の友達が貸してくれた。


上司(50代男性)とのコミュニケーションがうまく取れない。

ワンマン気質な上司。口が悪くて、なんでこんなに人をバカにするような言い方しかできないんだろう、と私はいつも思っている。自分でできる人や考えて動ける人に対しては、勝手にしやがってとブツブツ文句を言っている。周りに敵が多くて、また俺ばっかり責められるんだけど、ともぼやいている。そんな人。


じゃあ、なんでこんなモンスターな上司になってしまってるんだろうか。


きっと、上司は「話を聞いてもらえてない」というコミュニケーションの"未完了"な気持ちをずっと抱え込んで生きてるからなんじゃないかと思った。職場だけでなく、もしかしたら、家庭でも。

俺はこんなに仕事できるのに、貢献してるのに、というプライドや自負がある。でも、周りの人に受け止めてもらえないので、どんどんアピールが過剰になる。大げさに言うから嘘になる。結果、信用ならんやつだなと相手にされなくなる。思った通りにいかなくて、人を傷つけるようなことを言う。負のループ。

そう分析した。


そして、私もそんなモンスターになりつつあった。

上司に提案しても、だいたい理由も深く聞かれずにつっぱねられる。一緒に考えることもされず、鼻で笑われる。私もコミュニケーションの"未完了"が溜まる一方。どうせ何を言っても無駄だと諦めて、上司を嫌うことで気持ちを落ち着かせていた。

さらに、自分でついた悪態に、自分自身がうんざりしていた。


そう、私はその悪循環から抜け出したかったのだ。

じゃあ、どうすればいいのか。


変えることは、ただ「聞くこと」だけ。

まずもくじを見た時に、この本の小見出し"聞きなさい"という言葉が多く出すぎていて、読む前にちょっと引いた。それほど「聞く」ということがキーワードということがわかる。

相手に十分聞かれていると感じた時、その人はそれ以上の自己主張はしないそう。

それに、嫌いな人を好きになれとは書いてない。書いてあるのは至極真っ当なこと。嫌いな人のところへ行かないこと。選べる環境は選んでいくということ。


そして、自分の未完了なモヤモヤを解消するには、過去にあったコミュニケーション不全のできごとを、見て見ぬふりせず、向き合って、味わって、許すこと。


どんなことも考え方なんだろうな。

やってみるか。

ちょっと気持ちが落ち着いた。


全ての装備を知恵に置き換えること

「全ての装備を知恵に置き換えること」

石川直樹


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スマホは便利だ。

知らない道でもGoogleマップが案内してくれるし、言葉が通じなくても翻訳アプリを使えばいい。旅をする人は特に重宝している。


でも。


充電が切れたらそこでおしまい。予備バッテリーがあったとしても限度がある。


だったらやっぱり自分の頭の中にある知恵や知識が最強なのではないか。多少忘れることはあっても、充電が切れて使えなくなる心配はないだろう。脳みその大きさは変えられないから、かさばることもない。全てをスマホに頼らない。勘や経験も駆使して、己の力で自分の人生を生きる、ということ。


ちょっとスケールが大きくなってしまった。

でもきっと、旅人ならこの気持ちわかってくれるのではないだろうか。


著者の石川直樹さんは山に登り、カヌーを漕ぎ、森へ空へ北極へ。写真家だと思っていたけれど、登山家のようでもありエッセイストのようでもある。

本業は何だろう。いや、本業とか副業とかの区別なく、全てが石川さんなのかもしれない。


憧れの人が、またひとり増えた。


左岸

江國香織

「左岸」


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いつから読み始めただろうか。


年度の初めの頃には、お昼休みに上巻を持って木陰へお弁当を食べに行き、そのままそこで読むのが日課になっていた。

それから毎日のように雨が降る、または降らなくとも地面が濡れている梅雨の時期へ突入し、地面に座れなくなった私は車の中でひとり黙々と読み続けた。夏となった今では昼間の車内は暑すぎて、本を読むのが耐えられなくなるほど。久しぶりに乗った電車の中で読み終えた。

そんな春から夏へかけての記憶の中に「左岸」はあった。


「左岸」は辻仁成の「右岸」と対になる小説で、上下巻がそれぞれ500ページほどもある長編。本当に長かった。やっと読めた、という感じ。

なぜこんなに本を読むのが辛くなってしまったんだろう。私にとって、読書は没頭できる趣味のひとつであり、豊かな文章に充足を感じたり想像力の広がりに癒されたりするものだったのに。


忙しいはずじゃないのに仕事や日常生活に追われていて、本を読むという余裕がなくなっているからかもしれない。

そして、そもそも私は長編小説よりもショートショートの方が好きだった。そんなことも忘れてしまってるくらい読書というものから離れていたな、と反省した。


もっと日々に余白を。

気持ちに余裕を。


城崎へかえる

湊かなえ

「城崎へかえる」


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城崎温泉だけでしか買えない小説。

母子の思い出にまつわるショートストーリー。カニの足をイメージした外箱もかなりセンスがいい。


読んでいて、微妙な関西弁のニュアンスの違いを感じた。

兵庫の中でも地域によって方言がだいぶ違うのは知ってたけれど、文字にすると何だかモヤモヤして読みづらい。文章中に「感じへん」と書いてある言葉は、私の育った土地では「感じひん」なのだ。


「〜しない」という言葉も、

せーへん

しーひん

で大きく分けられると思う。

調べてみると、京都寄りの若い世代が"ひん"をよく使うとのこと。この場合、私はどちらか一方ではなくて、ミックスで使ってることが多い。


「今日の晩、2人やし鍋せーへん?」

「え、1人やったら鍋しーひんの?!」

1人じゃ鍋せんやろ」

「大学ん時みんなしてへんかった?」


4つの会話に4種類の「〜しない」を入れてみた。私はこれらを相手や状況によって使い分けてる。年上の親しい人に話す場合は「せーへんのですか?」と敬語にもできる。



そもそも、方言って文字に起こすのがけっこう難しいところがあると思う。どの書き方が正しい正しくないっていうものはないし、あいうえおの50音じゃ表しきれない"かとけの間"みたいな発音があるのも確か。

普段意識しないで使ってるし、しゃべってる中でお互いに使う言葉が違っても意味は分かるから、逆に視覚的に文字で見ると違和感を覚えたりするんだろうな。

ちなみに、湊かなえさんの使う関西弁は神戸+大阪市周辺かな、と私は踏んでいる。


ちょうちんそで

江國香織

「ちょうちんそで」


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今になって思うに、文庫本の最後についている「解説」は読書感想文なのだと思う。

当たり前と言えば当たり前なのだけど。

小学校の頃に出た夏休みの宿題の読書感想文みたいなもの。違うこととすれば、解説を書いてるのは作家だったりアーティストだったりみんないい大人であるということ。多少なりとも人生経験を積んできている人たち。そんな大人が読書感想文を書くと、ただただおもしろかった、という幼稚なものではなくて、一旦自分の中に落とし込んでから再構築してアウトプットしているので、経験や価値観に絡めた文章ができあがる。本編に比べるとたった数ページだけれど、作家の色が出ていておもしろい、と私は思う。


そして、江國さんの小説の解説を書く人はたいがいいい文章を書く、というのが私の持論。

そもそも、クセの強い江國さんの小説を好んで読んでる時点で、似たにおいというか、おもしろいと思えることを共有できる要素を持っているのだろうな。新たな視点での気づきもある。


私だったらどう書くだろう。


雛子と彼女を取り巻く人たちの、それぞれの暮らし。みんな例外なく繋がりを持って生きている。親子という繋がり、夫婦という繋がり、兄弟、姉妹、恋人、先生と生徒、同じマンションに住む住人

でも、お互いに声に出さないから思っていることは伝わらない。すれ違いと勘違いと秘密と。


私の感想文もまだまだ上達が必要だな。


半農半Xという生き方

塩見直紀

「半農半Xという生き方 決定版」

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いつかは山へかえると思っていた。


以前から"半農半X"という概念は知っていて、自分が食べる分くらいの野菜をつくる傍ら、本業だったり好きなことをするというもの。


泊まりに行ったゲストハウスでこの本を読み始めて、ここしばらく自分の中でモヤモヤとしていた気持ちの答え合わせができたような気がした。よく、病名がわかったりカテゴライズできると気持ちが楽になる、と言うけれど、まさにそんな感じ。あぁ、ひとりじゃなかったんだ、って。

結局チェックアウトまでに読み終わらず借りて帰ってきたのだけれど、それくらいしっかり最後まで読みたかった本。ゲストハウスのオーナーさん貸してくれてありがとう。



この本を読んで思い出した、私を取り巻いてきたものたち。


宮沢賢治

ナウシカ

アルジュナ

蟲師

イントゥ・ザ・ワイルド

旅をする木

アイヌ

農学部

ニュージーランド

汽水空港


そして、何よりもベースになっているのは田舎育ちで感受性豊かな母と、誠実で物事をたくさん教えてくれた父だろうなと思う。


寄り道しまくっている生き方だけど、きっと全てが人生の肥やしになる。自分が頼れるのは自分しかない。

ちょっとチャレンジしてみようかな、と思わせてくれる一冊に出会えてよかった。


大泉エッセイ 僕が綴った16年

大泉洋

「大泉エッセイ 僕が綴った16年」


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最近読書熱が冷めてきてるのか。

それとも、電車に乗る時間がほぼなくなったからなのか。


おそらく後者だろう。

私にとって、電車で移動する時間  本を読む時間 という図式が成り立っている。

そのため、あえて読書の時間を取らなくても、移動したり通勤するだけで本が読めたのだ。


今住んでいる土地へ引っ越してきて半年。この間に読んだ本は約4冊。このままだと年間10冊も読めないのだろうな、と感じる。

以前と大きく変わったことは、電車には乗らず、車を運転して出かけるようになったこと。電車の通っていない田舎では、車は無くてはならない""である。運転している時間が圧倒的に増えたのだ。

だからこそ、読書はわざわざ時間を作らなければいけないものになってしまった。



この約400ページの軽いエッセイを読むのに、私は2ヶ月以上かかっている。

最初の方の内容はもう覚えてないくらい遥か遠くにいる。それでも、大泉洋のエッセイにはブレない芯みたいなのがあるなぁと最後まで感じていた。コメディアン気質があるというか、人をおもしろがらせることをよく考えているな、と。


それでいて、たまに真理をつくようなことを書く。

"

世の中「良いこと」と「悪いこと」は同じだけあると思っている。だから天気くらいは悪くてもいいと思っている。ついてないことがあると、どこかで不幸貯金をしたなと思い、にやりとしてしまう。行きたいお店がやってなかったりすることも未だに異常に多いが、そんなことがあると「またなんか良い仕事が来るぞ〜」とワクワクしてしまう。何が起きようがどんなに落ち込もうが、時間が解決してくれると思っているし、何とか前向きに立ち上がろうと思っている。ポジティブなんだかネガティブなんだか分からない男でもある。

"


このギャップが彼の魅力なのだと思う。

水曜どうでしょう」でしょうもないことばかりしているだけの人ではないのだ(それが好きでもあるけれど)



私も何かエッセイを書き始めたい気分だったけれど、これ以上やりたいことを増やすと身が持たないので、もう少し落ち着いてから書くことにする。

何もかもが途中の状態の乱雑な机の上で、筆を置く。


冷静と情熱のあいだ Blu

辻仁成

冷静と情熱のあいだ Blu


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またもや途中で違う小説に浮気したり、それでも気になって戻ってきたりしながら、読み始めてから終わるまで2ヶ月かかった。

辻さんの小説自体は初めて。江國さんとの共作じゃなかったら出会ってなかった作家さんだろうな。


タイトルにもなってる「冷静と情熱のあいだ」ってどういう感情だろうと考えた。

この2ヶ月、私自身の生活にも変化があって、冷静でいなきゃと気を張る場面があったし、逆に情熱が湧き出してきて自分でも止められなくなってしまうこともあった。でもどっちに気持ちを振っても後でしんどくて、自分の中にある冷静と情熱をコントロールしていい加減にするのにだいぶエネルギーを使った。例えるなら、お風呂の蛇口の水とお湯。ちょうどいい温かさに調節しとかなきゃ安心して湯船につかれないという感じ。

こんな揺れ動く感情は久しぶりで疲れたけど、ものすごく効いてる気もする。20代前半にはよくやってた気がする(上手くいくいかないは別として)から、まあ心のリハビリみたいなものか。


仕事でもそうかもしれない。

私はどちらかというと熱っぽくなっちゃうタイプで、一度のめり込んだらとことん突き詰めたい人。だから何でも長続きしないのだろうけど。

理想は「細く長く」なわけで、続けていくためには少し落ち着いて、俯瞰して見ることも必要。30を過ぎてやっとコントロールが少しできるようになってきた。まだ下手くそだけれど。


そう思うと、辻さん側の順正は情熱の蛇口を多めに捻るように好きな人のことばかりを想っていて、江國さん側のあおいはなるべく冷静に努めようと感情を押し殺したり、違うことで気を紛らわせるようにしていた気がする。

もしかすると作家のスタイルの差かもしれないし、単に男女の差なのかもしれない。恋愛に対して男性は名前をつけて保存、女性は上書き保存と言うし。


みんな同じ熱量で接することができたらいいのにね。

(そんなこと実は無理だって知っているけど)


冷静と情熱のあいだ Rosso

江國香織

冷静と情熱のあいだ Rosso


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日本にいるのに、全然小説を読めていなかった。他にも読みかけの本はあるけれど、最後まで読み終えたのは2ヶ月ぶり。ずいぶんと間が空いてしまった。


江國さんの小説は、恋愛の華やかさや幸せを感じさせる描写があるにもかかわらず、どこかいつも憂いを帯びている。これもそう。

平穏な日常は小さな出来事によってびっくりするほどあっさりと崩れてしまう。でも、自分の本当の気持ちには逆らえないと改めて知らされる。


やっぱり江國さんの小説にハッピーエンドは似合わない。ああいう最後でよかった。だって、登場人物は小説が終わっても、きっとどこかで生き続けている気がするから。江國さんの描くアオイはリアルだった。

いつか記憶からこぼれおちるとしても

江國香織

「いつか記憶からこぼれおちるとしても」


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江國さんの小説には固有名詞がよく出てくる。

だから、いつも半分リアル。本当に彼女たちがこの世界で生きているみたいな気がしてくる。


人は必ず誰しもバックグラウンドがあるわけで、でもそれは他人からは見えないもの。親しくなって話してくれてたとしても、全てを知ることはできない。

仲が良さそうに見える友達同士でも相手のことを本当はどう思っているのか、自分の家族関係、内緒にしているできごと、それらは全て冬の海に浮かんだ氷山に例えられるように、表面に出ている部分だけでは分からないものなんだよな、と改めて感じた。水中に沈んだ部分は見えない。


これは小説の中だけの話じゃなくて、現実世界でもそう。


机を並べて仕事をしている同僚、上司、私は彼らの全てを知ることはできないし、彼らも同様に私の考えや経験を完全に把握することはできない。歓迎会でバツイチだとカミングアウトされて驚いたり、見た目に似合わず猟奇的な性格してるなと感じたり、毎日顔を見合わせながら仕事をしていても知らないことがたくさんある。SNSでこんなに日常生活をシェアして生きている現代人でも。

だからこそ、相手はこうかもしれない、こんなことがあったからこう言ってるんじゃないか、など想像力を持って生活したいものである。

誰かを傷つけないために。


新型コロナウイルスの影響でテレビはコロナ関係のニュースしか流れなくて面白くない。外出は自粛しろと言われてどこへも行けない。売り上げも悪い。"コロナ疲れ"という単語も生まれる今日この頃。その溜まった鬱憤を晴らすかのように、SNSには心ない言葉がたくさん飛び交う。

直接ではないものの、批判的な言葉を目にすることによって、私も心に少なからずダメージを受ける。そんな時「この人は相手のことを考えて発言したのか相手のことをよく思ってないから表面だけ見てものを言ってるんじゃないか」と思うわけで。匿名だから関係ないとか、表現の自由を主張する前に、もっとものをよく考えて発言してもらいたい。


ちょっと脱線したけれど、この小説を読んで、誰しも目に見えないバックグラウンドを持ってるんだよな、ということを思い出したという話。

青春を山に賭けて

植村直己

「青春を山に賭けて」


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大学では第二外国語として、ドイツ語をとっていた。ドイツ語自体はもうほとんど覚えてないけれど、四角い顔のヒョロッとしたおじちゃん先生のことはよく覚えている。本や詩が好きな人だった。

そんな先生がおすすめしていたのがこの本。それ以来、約10年ほどずっと読みたいと思いながら読めていなかったのだった。先生、ついに読みましたよ。


私も冒険をするタイプなので、植村さんの行動力には憧れと尊敬の念を抱いた。

資金集めをするために、英語も十分にできないのにアメリカに渡り農場で働いたこと。フランスのスキー場でも、スキー初心者だった上にフランス語もままならない状態なのに、臆することなく働き、ジャガイモを食べながら貧乏生活をしたこと。アマゾンを60日もかけてイカダで川下りをしたこと。もちろん世界の山々にひとりで登ったことも。

すべて彼の人柄の良さや周りの人たちのサポートがあったからできたこともあるし、辛かったことも星の数ほどあるだろうけど、私も彼のように地球の上をウロウロしながら、いつまでも人生を楽しんでいたい。


しかし、私の山に関する知識は、NHKの「グレートトラバース」で得たものだけ。登山経験もほとんどない。地元の小さな山と、ロープウェイで駒ヶ岳に登った程度。なので、植村さんの持つ"世界で初めて五大陸最高峰に登頂"という登山の経歴は、ただただすごいことなんだろうな、という漠然とした感想を持っただけだった。

登山をもっと知ればすごさをより感じられるはず。このままではもったいない。

読んでいてそう感じた。


新型コロナウイルスの影響で今年はもう海外へ旅に行けないかもしれない。だったら、国内で人混みを避ける遊びをすればいい。山登りなら、大自然の中で気持ちのいい空気を吸ったり、体を鍛えたりできる。山の植物や鳥にも詳しくなれるかもしれない。

よし、次の目標は登山にしよう。

私は登山靴の相場を調べるためにネットの画面を開いた。

グアテマラの弟

片桐はいり

グアテマラの弟」


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キノコのような髪型でカクカクっとした輪郭に大きな目が特徴的な俳優さん、というイメージの片桐はいり。こんなに楽しい文章が書けるんだ、という発見とともに、読んでいて何度も笑わせてもらった。個性的な役を演じていることが多いけれど、本人も役柄に負けないほど楽しい人なんだろうな。


グアテマラにいる弟を中心とした、旅と家族と思い出の話。

私も世界一周の時に立ち寄ったグアテマラをとても気に入ったので、弟さんの気持ちが分かる気がする。なんだか、居心地がいいのだ。みんな優しく陽気で、せかせかした日本とは違い、グアテマラには穏やかに暮らせそうな雰囲気がある。


グアテマラの人たちは麦茶のようなコーヒーに砂糖を何杯も入れるらしい。弟の奥さんのペトラさんは「人生はあまりにも苦いから、せめてコーヒーだけは甘くするのよ」と言っていた。

ペトラさん語録は他にもある。

グアテマラ料理を習った時には「美味しいごはんさえ作れれば、人生たいていの問題は解決できる」と母から料理の手ほどきを受けたのだと教えてくれた。素敵だ。


物価が安い所に住む人は貧しいのか?

急激な経済成長を遂げた国は、本当に豊かになったのか?

しあわせって何なのか?

自分の居場所はここなのか?


YESNO2択なんかでは答えられない私の中の永遠の問いに、また新たな気づきを与えてくれるような一冊だった。

あとがきを弟さんが書いているのも、また良い。


蚊がいる

穂村弘

「蚊がいる」


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ずっと結婚できなかったのは知っていたが、結婚してからは奥さんネタのエッセイが増えている。しかしこの穂村さんが見初めただけあって、なかなか奥さんもおもしろい。


「東大でいちばん馬鹿な人になら勝てると思う?」や「滝川クリステルとなら顔を取り替えてもいいな」という返事に困るびっくり発言から、穂村さんが今日の出来事を尋ねた時に答えた「お昼に行った喫茶店でマスターとお客さんがオセロやってた。黒がレの字になってたよ」という報告。穂村さんのファンとしては、奥さんもなかなか世間とズレていて好感が持てる。天然なんだろうな。いいな。


解説で陣崎草子さんが穂村さんを表現していたこの言葉もなかなか良かった。

"(穂村さんは)自分の「できなさ」を道具として世界を解析しつづけることで、「神が創りたもうたこの世界」のほころびを、舌を巻く細やかさで指摘し、摂理のおかしさを暴こうとしている。"

穂村さんはベッドで菓子パンを食べてたり、なかなかお店のトイレに行けなかったり、世間一般的に見れば情けない感じの大人かもしれないけれど、自分でそのダメさをちゃんと認識して言葉や短歌に落とし込むのが本当にうまいと思う。こういう人もいますよ、あなただけではないですよ、大丈夫ですよ、っていつも勇気づけられている。

ホテルカクタス

江國香織

「ホテルカクタス」


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大人のための童話なのかも、という印象。

というのも、登場人物が、帽子、きゅうり、数字の2、という人間ではない人たちだから。彼らの名前はあだ名ではなくて、きゅうりはシャワーを浴びれば身体の緑が冴えるし、数字の2がのびのびと寝る時は数字の1のような格好になる。そんな描写に思わず、ふふ、と笑ってしまった。しかも、帽子は帽子らしく、きゅうりはきゅうりらしく、そして22らしく、それぞれがそれぞれらしい性格をしているのもおもしろい。

この物語は心がきゅっと締め付けられるような恋愛話もなく、細かな心理描写が散りばめられてることもなく、穏やかに流れていく日々のようで、やさしい物語だった。


物語後半で帽子が言った「世の中に、不変なるものはないんだ」という言葉。

童話のようだと思って読んでいたはずが、急に現実に引き戻されたような気がした。実際、私が旅をしている中でも、このおじいさんには次来た時はもう会えないんだろうな、この古い建物の町並みはそのうち壊されて新しい建物になるんだろうな、などと考えることが度々あった。そう、帽子の言う通り、世の中はどんどんと移り変わっていくのが常なのだ。


だから、仕方ない気もするけれど、約1年ぶりに日本に帰ってきたので、自分の日本語の表現力が乏しくなっていて、感想が貧相になってるのが悲しい。リハビリが必要だなぁと感じた。

蒼い時

山口百恵

「蒼い時」

 

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もうすでに完結しているコンテンツだから安心して接することができる、というのもあるのだと思う。

数年前から私は山口百恵のファンなのだ。

 

私のカラオケの十八番は「プレイバック Part2」。歌いながら泣いちゃうのは「秋桜」と「さよならの向う側」。最高にかっこいいと思う曲は「ロックンロール・ウィドウ」。

母の影響もあってか、有名な百恵ちゃんの歌はほとんど歌える。

それほど好きなのだ。

 

百恵ちゃんは私が生まれる何年も前に引退している。

誰かが言っていたけれど、昔のアイドルを今追っかけるのは考古学者に似ている。私たちは古い雑誌の記事や動画を"発掘"して喜ぶのだ。

Twitter上で、百恵ちゃんの「プレイバック Part2」と沢田研二の「勝手にしやがれ」をテレビ番組でコラボしていたことを知った時には鼻血が出そうなくらいテンションが上がった。この組み合わせ、最高じゃないですか。若い人にはわかりませんか。いや、若くなくてもわかりませんか。すみません。

 

今回の本は、古本屋でたまたま"発掘"した百恵ちゃんのエッセイ集。

今まで華やかな百恵ちゃんしか追いかけていなかったので、裕福ではなかった過去や父親との関係、裁判の事件などを初めて知った。

21歳で芸能界を引退した百恵ちゃん。そんな若い子がこんな苦労をしながらも、凛としたイメージを壊さないように、自分で考え、行動していたのだと思うと心がぎゅっとなる。

自分が21歳の頃は何をしていただろうか。

 

引退のさよならコンサートではファンから「百恵ちゃん辞めないでー!」と言われていて、それに対して同じ気持ちでいた私だったけれど、この本を読んでからは少し考えが変わった。百恵ちゃんには芸能界から離れて、平和で穏やに暮らしてほしい。幸せになってほしい。そう思うようになった。

引退してから38年が経ちますが、今、幸せですか?百恵ちゃんが幸せなら私も嬉しいです。

 

ちょっとしんみりしてしまったので、最後に本書で私が気に入ったフレーズを。

「髪型を変えるということは、女にとって勇気のいることではあるが、新しい自分を発見するキッカケになるし、たったそれだけのことで、本当に生まれ変われたような気持ちにもなる。

髪型を度々変える人は、移り気だという。たしかにそうかもしれない。しかし、移り気は冒険心の第一関門である。画一化された日常生活の中で、ささやかな冒険心を満たすには、髪型を変えることぐらいしかないような気もする。」

私も髪型を変えてみようと思っている。東南アジア系のような、一目見た感じでは日本人に見えない髪型。

 

旅人っぽさをもっと前面に押し出したい。