「大泉エッセイ 僕が綴った16年」
最近読書熱が冷めてきてるのか。
それとも、電車に乗る時間がほぼなくなったからなのか。
おそらく後者だろう。
私にとって、電車で移動する時間 = 本を読む時間 という図式が成り立っている。
そのため、あえて読書の時間を取らなくても、移動したり通勤するだけで本が読めたのだ。
今住んでいる土地へ引っ越してきて半年。この間に読んだ本は約4冊。このままだと年間10冊も読めないのだろうな、と感じる。
以前と大きく変わったことは、電車には乗らず、車を運転して出かけるようになったこと。電車の通っていない田舎では、車は無くてはならない"足"である。運転している時間が圧倒的に増えたのだ。
だからこそ、読書はわざわざ時間を作らなければいけないものになってしまった。
この約400ページの軽いエッセイを読むのに、私は2ヶ月以上かかっている。
最初の方の内容はもう覚えてないくらい遥か遠くにいる。それでも、大泉洋のエッセイにはブレない芯みたいなのがあるなぁと最後まで感じていた。コメディアン気質があるというか、人をおもしろがらせることをよく考えているな、と。
それでいて、たまに真理をつくようなことを書く。
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世の中「良いこと」と「悪いこと」は同じだけあると思っている。だから天気くらいは悪くてもいいと思っている。ついてないことがあると、どこかで不幸貯金をしたなと思い、にやりとしてしまう。行きたいお店がやってなかったりすることも未だに異常に多いが、そんなことがあると「またなんか良い仕事が来るぞ〜」とワクワクしてしまう。何が起きようがどんなに落ち込もうが、時間が解決してくれると思っているし、何とか前向きに立ち上がろうと思っている。ポジティブなんだかネガティブなんだか分からない男でもある。
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このギャップが彼の魅力なのだと思う。
「水曜どうでしょう」でしょうもないことばかりしているだけの人ではないのだ(それが好きでもあるけれど)。
私も何かエッセイを書き始めたい気分だったけれど、これ以上やりたいことを増やすと身が持たないので、もう少し落ち着いてから書くことにする。
何もかもが途中の状態の乱雑な机の上で、筆を置く。