はらぺこ本の虫

読んだ本をゆるーくご紹介。ジューシーな文章が大好物です。

城崎へかえる

湊かなえ

「城崎へかえる」


f:id:askbooks:20210109233420j:plain


城崎温泉だけでしか買えない小説。

母子の思い出にまつわるショートストーリー。カニの足をイメージした外箱もかなりセンスがいい。


読んでいて、微妙な関西弁のニュアンスの違いを感じた。

兵庫の中でも地域によって方言がだいぶ違うのは知ってたけれど、文字にすると何だかモヤモヤして読みづらい。文章中に「感じへん」と書いてある言葉は、私の育った土地では「感じひん」なのだ。


「〜しない」という言葉も、

せーへん

しーひん

で大きく分けられると思う。

調べてみると、京都寄りの若い世代が"ひん"をよく使うとのこと。この場合、私はどちらか一方ではなくて、ミックスで使ってることが多い。


「今日の晩、2人やし鍋せーへん?」

「え、1人やったら鍋しーひんの?!」

1人じゃ鍋せんやろ」

「大学ん時みんなしてへんかった?」


4つの会話に4種類の「〜しない」を入れてみた。私はこれらを相手や状況によって使い分けてる。年上の親しい人に話す場合は「せーへんのですか?」と敬語にもできる。



そもそも、方言って文字に起こすのがけっこう難しいところがあると思う。どの書き方が正しい正しくないっていうものはないし、あいうえおの50音じゃ表しきれない"かとけの間"みたいな発音があるのも確か。

普段意識しないで使ってるし、しゃべってる中でお互いに使う言葉が違っても意味は分かるから、逆に視覚的に文字で見ると違和感を覚えたりするんだろうな。

ちなみに、湊かなえさんの使う関西弁は神戸+大阪市周辺かな、と私は踏んでいる。


ちょうちんそで

江國香織

「ちょうちんそで」


f:id:askbooks:20210101132228j:plain


今になって思うに、文庫本の最後についている「解説」は読書感想文なのだと思う。

当たり前と言えば当たり前なのだけど。

小学校の頃に出た夏休みの宿題の読書感想文みたいなもの。違うこととすれば、解説を書いてるのは作家だったりアーティストだったりみんないい大人であるということ。多少なりとも人生経験を積んできている人たち。そんな大人が読書感想文を書くと、ただただおもしろかった、という幼稚なものではなくて、一旦自分の中に落とし込んでから再構築してアウトプットしているので、経験や価値観に絡めた文章ができあがる。本編に比べるとたった数ページだけれど、作家の色が出ていておもしろい、と私は思う。


そして、江國さんの小説の解説を書く人はたいがいいい文章を書く、というのが私の持論。

そもそも、クセの強い江國さんの小説を好んで読んでる時点で、似たにおいというか、おもしろいと思えることを共有できる要素を持っているのだろうな。新たな視点での気づきもある。


私だったらどう書くだろう。


雛子と彼女を取り巻く人たちの、それぞれの暮らし。みんな例外なく繋がりを持って生きている。親子という繋がり、夫婦という繋がり、兄弟、姉妹、恋人、先生と生徒、同じマンションに住む住人

でも、お互いに声に出さないから思っていることは伝わらない。すれ違いと勘違いと秘密と。


私の感想文もまだまだ上達が必要だな。


半農半Xという生き方

塩見直紀

「半農半Xという生き方 決定版」

f:id:askbooks:20201224125434j:plain


いつかは山へかえると思っていた。


以前から"半農半X"という概念は知っていて、自分が食べる分くらいの野菜をつくる傍ら、本業だったり好きなことをするというもの。


泊まりに行ったゲストハウスでこの本を読み始めて、ここしばらく自分の中でモヤモヤとしていた気持ちの答え合わせができたような気がした。よく、病名がわかったりカテゴライズできると気持ちが楽になる、と言うけれど、まさにそんな感じ。あぁ、ひとりじゃなかったんだ、って。

結局チェックアウトまでに読み終わらず借りて帰ってきたのだけれど、それくらいしっかり最後まで読みたかった本。ゲストハウスのオーナーさん貸してくれてありがとう。



この本を読んで思い出した、私を取り巻いてきたものたち。


宮沢賢治

ナウシカ

アルジュナ

蟲師

イントゥ・ザ・ワイルド

旅をする木

アイヌ

農学部

ニュージーランド

汽水空港


そして、何よりもベースになっているのは田舎育ちで感受性豊かな母と、誠実で物事をたくさん教えてくれた父だろうなと思う。


寄り道しまくっている生き方だけど、きっと全てが人生の肥やしになる。自分が頼れるのは自分しかない。

ちょっとチャレンジしてみようかな、と思わせてくれる一冊に出会えてよかった。


大泉エッセイ 僕が綴った16年

大泉洋

「大泉エッセイ 僕が綴った16年」


f:id:askbooks:20201013223232j:plain


最近読書熱が冷めてきてるのか。

それとも、電車に乗る時間がほぼなくなったからなのか。


おそらく後者だろう。

私にとって、電車で移動する時間  本を読む時間 という図式が成り立っている。

そのため、あえて読書の時間を取らなくても、移動したり通勤するだけで本が読めたのだ。


今住んでいる土地へ引っ越してきて半年。この間に読んだ本は約4冊。このままだと年間10冊も読めないのだろうな、と感じる。

以前と大きく変わったことは、電車には乗らず、車を運転して出かけるようになったこと。電車の通っていない田舎では、車は無くてはならない""である。運転している時間が圧倒的に増えたのだ。

だからこそ、読書はわざわざ時間を作らなければいけないものになってしまった。



この約400ページの軽いエッセイを読むのに、私は2ヶ月以上かかっている。

最初の方の内容はもう覚えてないくらい遥か遠くにいる。それでも、大泉洋のエッセイにはブレない芯みたいなのがあるなぁと最後まで感じていた。コメディアン気質があるというか、人をおもしろがらせることをよく考えているな、と。


それでいて、たまに真理をつくようなことを書く。

"

世の中「良いこと」と「悪いこと」は同じだけあると思っている。だから天気くらいは悪くてもいいと思っている。ついてないことがあると、どこかで不幸貯金をしたなと思い、にやりとしてしまう。行きたいお店がやってなかったりすることも未だに異常に多いが、そんなことがあると「またなんか良い仕事が来るぞ〜」とワクワクしてしまう。何が起きようがどんなに落ち込もうが、時間が解決してくれると思っているし、何とか前向きに立ち上がろうと思っている。ポジティブなんだかネガティブなんだか分からない男でもある。

"


このギャップが彼の魅力なのだと思う。

水曜どうでしょう」でしょうもないことばかりしているだけの人ではないのだ(それが好きでもあるけれど)



私も何かエッセイを書き始めたい気分だったけれど、これ以上やりたいことを増やすと身が持たないので、もう少し落ち着いてから書くことにする。

何もかもが途中の状態の乱雑な机の上で、筆を置く。


冷静と情熱のあいだ Blu

辻仁成

冷静と情熱のあいだ Blu


f:id:askbooks:20200818214645j:plain


またもや途中で違う小説に浮気したり、それでも気になって戻ってきたりしながら、読み始めてから終わるまで2ヶ月かかった。

辻さんの小説自体は初めて。江國さんとの共作じゃなかったら出会ってなかった作家さんだろうな。


タイトルにもなってる「冷静と情熱のあいだ」ってどういう感情だろうと考えた。

この2ヶ月、私自身の生活にも変化があって、冷静でいなきゃと気を張る場面があったし、逆に情熱が湧き出してきて自分でも止められなくなってしまうこともあった。でもどっちに気持ちを振っても後でしんどくて、自分の中にある冷静と情熱をコントロールしていい加減にするのにだいぶエネルギーを使った。例えるなら、お風呂の蛇口の水とお湯。ちょうどいい温かさに調節しとかなきゃ安心して湯船につかれないという感じ。

こんな揺れ動く感情は久しぶりで疲れたけど、ものすごく効いてる気もする。20代前半にはよくやってた気がする(上手くいくいかないは別として)から、まあ心のリハビリみたいなものか。


仕事でもそうかもしれない。

私はどちらかというと熱っぽくなっちゃうタイプで、一度のめり込んだらとことん突き詰めたい人。だから何でも長続きしないのだろうけど。

理想は「細く長く」なわけで、続けていくためには少し落ち着いて、俯瞰して見ることも必要。30を過ぎてやっとコントロールが少しできるようになってきた。まだ下手くそだけれど。


そう思うと、辻さん側の順正は情熱の蛇口を多めに捻るように好きな人のことばかりを想っていて、江國さん側のあおいはなるべく冷静に努めようと感情を押し殺したり、違うことで気を紛らわせるようにしていた気がする。

もしかすると作家のスタイルの差かもしれないし、単に男女の差なのかもしれない。恋愛に対して男性は名前をつけて保存、女性は上書き保存と言うし。


みんな同じ熱量で接することができたらいいのにね。

(そんなこと実は無理だって知っているけど)


冷静と情熱のあいだ Rosso

江國香織

冷静と情熱のあいだ Rosso


f:id:askbooks:20200622221235j:plain


日本にいるのに、全然小説を読めていなかった。他にも読みかけの本はあるけれど、最後まで読み終えたのは2ヶ月ぶり。ずいぶんと間が空いてしまった。


江國さんの小説は、恋愛の華やかさや幸せを感じさせる描写があるにもかかわらず、どこかいつも憂いを帯びている。これもそう。

平穏な日常は小さな出来事によってびっくりするほどあっさりと崩れてしまう。でも、自分の本当の気持ちには逆らえないと改めて知らされる。


やっぱり江國さんの小説にハッピーエンドは似合わない。ああいう最後でよかった。だって、登場人物は小説が終わっても、きっとどこかで生き続けている気がするから。江國さんの描くアオイはリアルだった。

いつか記憶からこぼれおちるとしても

江國香織

「いつか記憶からこぼれおちるとしても」


f:id:askbooks:20200417203927j:plain


江國さんの小説には固有名詞がよく出てくる。

だから、いつも半分リアル。本当に彼女たちがこの世界で生きているみたいな気がしてくる。


人は必ず誰しもバックグラウンドがあるわけで、でもそれは他人からは見えないもの。親しくなって話してくれてたとしても、全てを知ることはできない。

仲が良さそうに見える友達同士でも相手のことを本当はどう思っているのか、自分の家族関係、内緒にしているできごと、それらは全て冬の海に浮かんだ氷山に例えられるように、表面に出ている部分だけでは分からないものなんだよな、と改めて感じた。水中に沈んだ部分は見えない。


これは小説の中だけの話じゃなくて、現実世界でもそう。


机を並べて仕事をしている同僚、上司、私は彼らの全てを知ることはできないし、彼らも同様に私の考えや経験を完全に把握することはできない。歓迎会でバツイチだとカミングアウトされて驚いたり、見た目に似合わず猟奇的な性格してるなと感じたり、毎日顔を見合わせながら仕事をしていても知らないことがたくさんある。SNSでこんなに日常生活をシェアして生きている現代人でも。

だからこそ、相手はこうかもしれない、こんなことがあったからこう言ってるんじゃないか、など想像力を持って生活したいものである。

誰かを傷つけないために。


新型コロナウイルスの影響でテレビはコロナ関係のニュースしか流れなくて面白くない。外出は自粛しろと言われてどこへも行けない。売り上げも悪い。"コロナ疲れ"という単語も生まれる今日この頃。その溜まった鬱憤を晴らすかのように、SNSには心ない言葉がたくさん飛び交う。

直接ではないものの、批判的な言葉を目にすることによって、私も心に少なからずダメージを受ける。そんな時「この人は相手のことを考えて発言したのか相手のことをよく思ってないから表面だけ見てものを言ってるんじゃないか」と思うわけで。匿名だから関係ないとか、表現の自由を主張する前に、もっとものをよく考えて発言してもらいたい。


ちょっと脱線したけれど、この小説を読んで、誰しも目に見えないバックグラウンドを持ってるんだよな、ということを思い出したという話。