はらぺこ本の虫

読んだ本をゆるーくご紹介。ジューシーな文章が大好物です。

懐かしい未来 ラダックから学ぶ

「懐かしい未来 ラダックから学ぶ」

ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ(鎌田陽司 監訳)

 

 

まずこの本を知ったのは汽水空港モリテツヤさんの紹介で。そして読み始めたのはネパールへ行ってみようと飛行機を取ったタイミングで。ヒマラヤ山脈周辺の文化を感じられるかと期待してのことだった。

結果的に、私のネパール旅へは直接関係しなかったけれど、インドと中国という大国に挟まれた国々の人たちの考え方みたいなのを少し得て旅に出れたのは良かった。

 

ラダック人の昔ながらの生活には、日本語にもある「お互いさま」の感覚を強く感じた。誰かのために何かをすることが当たり前のように根付いていて、高齢者がのけものにされることなく、誰も取りこぼさない仕組みになっている。自分が一番にならなければ、お金をもっと稼がなければという競争のようなことはなく、しかし、自分自身を大切にしていないというわけでも決してない。ひとりひとりが自立していながらも、家族や村といったコミュニティの結びつきを持って暮らしている。

なんとなく「一全、全は一」という言葉を思い出した。ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。もう少し解釈を大きくしていくと、自分は世界の構成要素のひとつであり、また自身を取り巻く世界も自分が存在し続けるためにある、という感じだろうか。「私たち」というくくりがとても広いように思う。

 

ラダックの"懐かしい"生活からだけではなく、日本の昔の暮らしぶりからも学ぶことはたくさんある気がした。私の父から、子どもの頃に家で使っているお醤油が足りなくなり隣の家に借りに行ったりしていた、というエピソードを聞かされたことがある。それくらい他人との境界線がゆるく、迷惑はかけたりかけられたりしていた。隣人や周囲の人たちに対して、お互いにやさしさを持って暮らしていくということ。それもいい。

新しいものが導入されることを否定するのではなく、そんな現代において幸福度の高い暮らしをしていくには何をどう考え実践したらいいか、を思い出させてくれるような本だった。

忘れかけた時に何度でも読み返そう。

あたしの一生 猫のダルシーの物語

「あたしの一生 猫のダルシーの物語」

ディー・レディ(江國香織訳)

 

 

私は毛のある動物を飼ったことがない。幼い頃に小亀と夏祭りで掬ってきた金魚は飼っていたことがあるが、彼らに愛着が湧くほど何年も育てることができなかった。

かつて実家で猫を飼っていた母曰く、ペットは人間より寿命が短いので必ず悲しいお別れが来る。それがつらいので、うちではペットは飼いません。ということだった。今となっては亀と金魚は良かったのかと少々疑問には思うのだけど、母が言うペットというものは、毛がある動物、を指しているのかもしれない。子どもの頃は母の言うペットを飼わない理由にピンと来てなかったのだが、愛情深い母のこと。かつて飼っていた猫をとても可愛がっていたに違いない。亡くなった時は家族を失うほどの悲しみを味わっただろう。

ダルシーは飼い主をひとりぼっちにしないために、思い出をたくさん蒔いていった。母も飼っていた猫の話をたまにしてくれる。母の猫もきっと母のことを思ってたくさんの思い出を残していったに違いない。こればっかりは、毛のある動物を飼ったことのある人しか分からないのだと思う。

 

極北へ

「極北へ」

石川直樹

 

 

アラスカに行ってみたい。

行って何をするという具体的な目的があるわけではないのだけれど、この5年くらいずっと憧れている大地。

石川さんはアラスカにあるデナリに単独で登頂している。デナリと言えば、星野道夫のエッセイにもたびたび登場する山。それに、かつてはマッキンリーと呼ばれていて、植村直己が厳冬期に登頂した後に消息を絶った山でもある。

自然の中に身を置きながらエッセイを綴っていた人たちを通して、私はアラスカを見ている。長い冬、白夜の明るさ、春に花々が競うように咲く春、白い山々、クレバス、ムース、ヘラジカ、クマ。いつかこの目で見てみたい。憧れは募るばかり。

ダメ人間 溜め息ばかりの青春記

「ダメ人間 溜め息ばかりの青春記」

鈴井貴之

 

 

理由は安直。

冬なので冬っぽい本を読もう、と思ったのだ。

本棚の前に立ち、冬→雪→北海道→鈴井さん、と連想してこの本を手に取った。「水曜どうでしょう」を通しては知っていたけれど、"ミスター"は実際どんな人なのだろうか。鈴井さんのイメージは夜行バスに乗り、無茶なロケに耐え、大泉さんと一緒に面白いことをして笑っている姿。そんな鈴井さんの背景にある大学時代や歴代の彼女、極貧生活、が垣間見えた。

 

文庫版はラーメンズの小林賢太郎さんとの対談も収録されていて個人的に嬉しかった。

まちかどガードパイプ図鑑

「まちかどガードパイプ図鑑」

岡元大

 

 

路上観察が好きだ。

中学生の頃、通学路にあった工場の2階に、階段も何もないのになぜか外に面した扉がある、ということに疑問を持ったところから始まった気がする。それからだいぶ後になって「超芸術トマソン」という概念を知り、「のら文字」、「渋ビル」などの知識を得て、神社に行けば狛犬収集をしたりしていた。さらに旅へ出るたびにその地の透かしブロックやマンホールを愛でるまでに成長した。そして、最近出張で東京へ行くことが増え、イチョウ柄のガードパイプがかわいいと気付き、今に至る。

 

歩道と車道の境目に立つガードパイプ。正式名称は「横断防止柵」と呼ぶそう。田舎に行くと田んぼと歩道の間にガードパイプがあるが、それは「転落防止柵」とのこと。なるほど、違いがあるのか。そこまで意識して見たことはなかった。

ガードパイプはジャンルも形ももさまざま。本書では東京がメインなので、日本全国で探せばもっとあるはず。透かしブロックとは違うのは、海外でもよく見られるということ。マンホールと同じような立ち位置だな、と感じる。また海外へ行く時に探してみよう。

 

なくても不便はしないが、知るともっと生活に潤いが出る。それが、ガードパイプハンティングをはじめとする路上観察なのではないかと思う。私自身は元々草木も好きなので、今は街を歩くだけで目に見えるもの全てがおもしろい。

生物から見た世界

「生物から見た世界」

ユクスキュル、クリサート(日高敏隆・羽田節子訳)

 

 

初版は2005年。今から20年も前だけど、原文はもっと前、1934年に出版された。多少は情報が古くなってはいると思うけれど、約90年経ってもこんなにおもしろい本があるなんて。星新一のショートショートとか源氏物語みたいな域に達してる気がする。言い過ぎか。

でもこれは文学的な話ではなく、生き物たちの環世界の話。どちらかというと理系の読み物なのだ。

だから、高校や大学で生物をやった人には特に刺さるはず。そうやってこの生き物たちには世界が見えてたのか、と。かくいう私も。

しかも、ちょうどポッドキャストの「ミモリラジオ」を聴いているところだったので、それにもリンクしていて非常に読んでいて楽しかった。例えば、ミミズはいつも同じ向きで葉っぱを巣穴に持ち込むのだけど、なぜ葉っぱの先と柄の部分の区別がつくのか、など。様々な生き物の見えている世界について、噛み砕いて簡単に説明してくれている。

世界をひとりで歩いてみた

「世界をひとりで歩いてみた 女30にして旅に目覚める」

眞鍋かをり

 

 

前に読んだ気がしていたけど、まだ読んでなかった一冊。旅エッセイ。

さすがブログの女王と呼ばれていただけあって文章を書くのに慣れている感じ。ハプニングをおもしろエピソードとして書ける人なのだ。もしかしたらバラエティ番組で鍛えられたのかもしれないが、ハプニングからのおもしろエピソードへ繋がる流れは、さすがである。

トルコを旅する時は指輪を持って行こう。

私も旅ブログをこまめに更新したいのだけど、なかなか。忙しいことを理由にしていたら、ずっと書けないままになる。やらねば。

安いニッポンからワーホリ!

「安いニッポンからワーホリ! 最低時給2000円の国で夢を見つけた若者たち」

上坂徹

 

 

たぶんこの本がぴったりなのは、看護師をしていてオーストラリアへワーキングホリデーに行きたい人なんじゃないかと思う。

残念ながら、オーストラリア以外の国のワーホリ事情についてはほとんど出てこない。本人がワーホリに行った話でははなく、一部の人のインタビューをまとめたものなので、ポップな表紙に惹かれて手に取ってみたものの、思っていた内容とは違う印象だった。

 

確かに、ワーホリに行って「こうでなきゃいけない」という日本的な呪縛から解き放たれた人は多いし、私もそのひとりである。ただし、行った国はニュージーランドで、ファームジョブ中心の生活だったのだけれど。

私がワーホリ中に出会った人たちの中で、ニュージーランドに来る前にオーストラリアでワーホリをしていた人の話を聞くことが何度もあった。オーストラリアに2年いた、3年いた、という人も多くて、その人たちの話の方が私にとってはおもしろくてぴったりだった。鶏肉工場やレタス畑で働いたとか、ブルーベリーピッキングは楽だから人気とか、オーストラリアを一周したとか、中華系の友達と日本語で意思疎通できてしまった話とか。そんなことを思い出しながら読んでいた。

 

そして、著者も泣きながら銀行と英語で電話のやり取りをしなきゃいけないくらいの経験をしてから本書を執筆いただいた方が、リアリティが増したと思われる。ぜひ次はニュージーランドやカナダのワーホリもしっかり取材していただきたい。

そして、ぼくは旅に出た。はじまりの森ノースウッズ

そして、ぼくは旅に出た。はじまりの森ノースウッズ

大竹英洋

 

 

30代中盤で自分の人生のテーマみたいなのが分かってきたというか、決まってきたところがある。私の場合は「旅とごはん」なのだけど、そんな人生のテーマを発見するに至るまでには最初の大きなきっかけがあったはずなのだ。

写真家として活躍している大竹さんにとっての"大きなきっかけ"は、大学卒業と同時にノースウッズに行き、カヌーを漕ぎながら五感で自然を感じた旅。それがあったから今があるのだろう。さらに言うと、大学時代にワンダーフォーゲル部に入っていたことが、大きなきっかけに繋がる基礎部分でもあったはず。

そう思うと、私も大学1年の19歳の時に初めてパスポートを取り、その当時入部していた探検部のメンバーとベトナム縦断をしたことが、基礎部分。それがあったからこそ、私の人生における大きなきっかけである「日本一周」が私の旅の源流点になっているのだと思う。確かに、忘れられないし、忘れようもない。それからは「世界一周」「ニュージーランドへのワーキングホリデー」を経験し、どんどん旅のある人生にシフトしていったのだ。

そして今言えることは、若い時だけがきっかけの始まりではないということ。何歳でも、どんなタイミングでも、チャレンジは始めていい。ワクワクする日々をまた自分で作っていけるのだ。

アランの幸福論

「アランの幸福論」

アラン(齋藤慎子訳)

 

 

しあわせって、誰かにしてもらうものではなくて、自分の内から湧き出してくるものだったり、掴み取ったりするものだと思う。それはアランが1928年に出版した時から変わらないし、もっとずっと前からそうだったはず。

私は最近「自分はしあわせ者だな」と感じることがよくある。たぶんそれは今までのいろんな経験の積み重ねとか、誰かに植え付けられた価値観のそぎ落としとかを経て、30代後半になり内面も成熟してきたからなんじゃないかと思う。

それに、しあわせな状態で居続けるためには多少の努力も必要。相変わらず生牡蠣のような感受性のままでいるのだけれど、それを守るための固い殻や、自分で判断して殻を素早く閉じるための筋肉もついてきた。

若い頃苦労人だったと聞いている親戚のおばあちゃんは、今では会う度に「私はしあわせ者やわぁ」と言っている。私もそう言い続けられるよう、これからもこころを磨いていくつもり。

 

はだかんぼうたち

「はだかんぼうたち」

江國香織

 

 

ざまあみろ。

言い方は悪いが、江國さんの書く母親像に自分の母親を重ね合わせてそんなことを思ったりする。いや、母親ではないか、親戚中の自分より年上のすべての女性か。

決して悪い人ではないのだけど、娘の結婚(という名のしあわせ)を待ち望み、自分の理解できないことは聞かなかったことにする。悪気はなく傷つくことを言い放つ。もしや江國さんも、と思わずにはいられないほど。

母親の思った通りには娘は育たないのだ。みんなそうじゃないだろうか。

好きなものに囲まれて、自分で稼いだお金で装身具を買い、想いの人と唇を重ね、自分の足で立って生きる。もう成人して親元を離れているし、自分の人生を自分で歩んでいるのだ。

それなのに。

それなのに、結婚していないことや子どもがいないことに罪悪感を感じるのはなぜだろう。世間体というプレッシャー、周りからの目には見えない謎の期待。自分で選んだ道なのに。私、何も悪いことはしていないのに。

 

だからこそ、江國さんの小説に救われる。読んでいる時だけ、呪縛が解ける。

きっと、桃には「自分の好きにしていいのよ?」、鯖崎には「そんなことよりも、うまいメシでも食べに行こうよ」、と言われるだろう。そして「人それぞれ、想いは違って当然。そうでしょ?それにね、自分の肉体は、他の誰のものでもなく自分のためだけにあるものだから」と、内緒話をする少女のように江國さんが囁く声が聞こえる気がする。私はそれを聞いてほっとするのだ。

美しいものを見に行くツアーひとり参加

「美しいものを見に行くツアーひとり参加」

益田ミリ

 

 

ヨーロッパは世界一周の時に行ったきりで、それから立ち寄ることはなかった。もっぱらアジアとオセアニアをウロウロ。なので、最近はヨーロッパ再訪に向けてワクワクするような情報のインプットを試みている。北欧にオーロラ見に行くのはとても魅力的だなぁと思ったり。

ミリさんのように高いお金を出してガチガチに組まれたツアーにひとり参加、というのは私には合わなそうなので、私は自分でルートを決めてふらっと自由なひとり旅に出てみようかな。

フランスふらふら一人旅

「フランスふらふら一人旅」

にしうら染

 

 

パリのアパルトマンを借りて、約1か月暮らすように旅をする。

過去にワーキングホリデーでNZに1年いたけれど、今はもうワーホリ対象年齢を越えてしまったからこそ、長期滞在にとっても憧れる。

今の私ならどこへ行こう。

せっかく長い滞在なので、日本から比較的簡単に行ける近場のアジアよりももっと遠くがいいかな。スペインとかどうだろう。スペイン語も学びたくて気になっていたし、ヨーロッパの中でも明るく陽気なイメージで、料理の味付けも合う気がした。

本書のフランスとは全然関係ないけど。旅のヒントとして。

いま、地方で生きるということ

「いま、地方で生きるということ」

西村佳哲

 

 

この本を買ったのは、ちょうどコロナ禍真っ只中、周りに内緒で広島へ旅をしに行った2020年頃だったと記憶している。尾道にある「紙片」という本屋のしおりが挟まっていたから間違いなさそうだ。半透明で美しい。

その頃の私はニュージーランドから帰国して、兵庫県の山間にある温泉地で仕事をしていた。特に何もない田舎でも大丈夫、という自信はあったのだけれど、地域の人たちと価値観が合わず、せっかくニュージーランドでのびのびと解放された気持ちがガチガチに固く冷たくなっていくのを感じていた。苦しかった。

だからこそ、地域おこしとは何か、という答えを探したくてこの本を買ったのだと思う。しかし、タイトルや帯コメントに惹かれて購入したものの、内容が私の想像していたものとは違っていたことや、東北の地名が分からずピンと来なかったことも重なり、なかなか読み進められないまま読むのを二度ほど断念したのだった。

ただ、こういった本は後から読むべき時が来るものだ、という確信めいた何かがあったので、しばらく本棚へとしまっておいた。そうしたら、5年後、読む時がやってきた。今だった。

岩手に引っ越してきたことで地理が分かり、地名を聞いただけで景色が浮かんだ。読める、読めるぞ。

そして、やっと今回で全375ページの分厚い文庫本を読み切ることができた。

東日本大震災がおきて2ヶ月後の2011年の世界が押し花のように保存されていて、さらに文庫版になるにあたってコロナ直前の2019年の世界も追加で標本にされているような本書。8年間で人の気持ちも環境も変わる。コロナを経てなおさらだろう。

私も自分の心が向く方へ、感覚も住む場所も変えていいのだ。

100万分の1回のねこ

100万分の1回のねこ

アンソロジー

 

 

私の母は絵本をよく買う人で、私の家にも佐野洋子さんの絵本「100万回生きたねこ」があった。いつ購入したのかは定かではないが、読んで泣いた記憶があるので、きっと小学校の中・高学年くらいの頃だろう。

その、みんな読んでグッときたであろう"ねこ"から想像を広げて描かれる13人の作家によるアンソロジー。人それぞれ感じたものや表現したいことが違うので、読み進めるのが楽しいし、ひと作品が短いので気楽に読める。

基本的に私は江國香織ラバーなので江國さんの文章を摂取できれば満足。井上荒野は旅エッセイがひどく読み辛かった印象だったけど小説なら読みやすかったし、角田光代は泣かせに来た。山田詠美は久しぶりに読んで好きな感じだと分かったので今度何か一冊読んでみよう。川上弘美は視点がなかなか良くて、最後の谷川俊太郎の一小節は谷川さんが亡くなった今だからこそ余計にグッときた。あの世でも生まれ変わっても楽しく生きてほしい。

大人が絵本を読んではいけないという決まりはないのだ。まだ実家に残っているだろうか。読み直してみたくなった。