はらぺこ本の虫

読んだ本をゆるーくご紹介。ジューシーな文章が大好物です。

たまには世界のどこかでふたりっぷ

「たまには世界のどこかでふたりっぷ」

ひとりっP

地曳いく子

 

 

ひとりっぷシリーズの一冊。2020年のコロナ真っ最中に発行された本書。県外移動が制限されていた時期もあったなぁと思いながら、アフターコロナの世界が来てくれてよかったと2024年の今、読んでいた。

 

旅慣れしてる人の情報は旅をする上ですごく参考になる。

おすすめに従って、JAL(ワンワールド系)のマイルを貯めようと決意してマイレージ登録をした。私はだいたいLCCかレガシー未満の安めの航空会社を使うことが多いけど、地方空港へ就航しているJALやANAは直前予約じゃなければそんなに高くないのかも、と気がつき、さっそく予約したのだった。

 

今回の発見は、台湾へ1年以内に3回以上訪れると申請できる「フリークエントビジター証明書」があるのを知ったこと。入国ファストパス的な証明書らしい。いいな。米子ー台北便が就航した際にはぜひとも利用したい。

 

ただ、ひとりっPさんもいく子さんもいい服を紹介しているし、いいホテルに泊まってる。

私は大学生的な貧乏旅だったり、全身ユニクロだったり、女子というより野良犬みがあるからもちろんワードローブなど価値観が違うなと思うページも多い。仕方ない。でもその分、私はスリや変な人から狙われる率も彼女たちより低いのかもと思ったり。

 

人の数だけ旅の法則があるんだろうな。

ほんとはかわいくないフィンランド

「ほんとはかわいくないフィンランド」

芹澤桂

 

 

山陰の冬。北欧の国・フィンランドに学べるところがあるかもしれない、と思って読んでみたが、やっぱりフィンランドでも日照時間が少ないことからしんどさを感じる人も多いらしい。

しかし、本書から学んだのはもうちょっと範囲が大きく、地域の暮らしについて、という点。地域再生アドバイザーの卵として、考えさせられるところがあった。

 

フィンランドではマンションで共用のサウナがあったり、いつでも借りられる落ち葉かきや雪かきの道具があったり、予約したら借りられる部屋があったりするらしい。それって日本で言う公民館の役割かもしれない。

日本って昔は"地域でひとつの共同体"という感じの暮らしだったけれど、最近は"個々の家庭"という感じが強くなってきているように思う。雪かきスコップだって個人所有、DIYの工具だって個人所有。持ってない人はどこで借りられるんだろう、買わなきゃいけないんだろうか、といつも思っている。

日本における地域の活動は高齢者と若者の分断みたいなことがおきているように思う。溝の掃除ばっかで嫌だし、めんどくさいおじいさんがいるから会いたくないし、そもそも平日の昼間に会議があっても出れないし…と、いつからそんなことになってしまったのだろうか。地域活動が現代社会に追いついてないことが原因だろうか。

 

なのでフィンランドの他人と何かを共有する暮らし、とても魅力的に思える。嫌なことももしかしたらあるかもしれないけれど、現代の公民館もこうオープンでメリットのあるものという存在であるべきかもしれない。

旅行者の朝食

「旅行者の朝食」

米原万里

 

 

この本を見つけたのは古本屋さんの文春文庫コーナー。"旅行者"という言葉に惹かれて手にとり、表紙と目次を見て食べ物についてのエッセイだと確信してレジに直行した。その勘は当たっていて、ものすごく面白い文章が詰め込まれた一冊だった。

 

私もおいしいものが大好き。

特に料理上手な母の作るごはんは格別だった。三姉妹の長女として育った私は、どんどん箸の使い方が上手くなってきたり、だんだん胃のキャパシティが大きくなってくる妹たちに負けることはできないと、食卓にどーんと大皿で料理が出されるや否や光の速さで口に運んでいた。いや、光の速さは言い過ぎかもしれないけど。毎日妹たちと戦っていた。

とにかく食い意地が張っているのだ。

 

なので、きっと万里さんとは仲良い友達になれるだろう、と思った。万里さんは元ロシア語通訳者ということで東ヨーロッパあたりの食事事情に詳しい様子。アジア系なら私に任せて。2人でテーブルいっぱいに料理を広げて平らげましょう。空の上で待っててください。

アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん

「アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん」

中澤日菜子

 

 

まず離島とは?と調べてみたけれど、決まりは法律によっても様々らしく、そもそも日本自体が島国なので離島の定義が難しい気がした。

橋やトンネルで繋がっている本州、北海道、九州、四国以外を離島としてもいいのだろうが、私たちは石垣島などのことを「沖縄の離島」と言っている気がする。しかし沖縄本島も離島なのではないか。離島の離島。うーん、いいのか?そう妄想して勝手に悩みを膨らませていた。

なので、"アイランド・ホッパー"というネーミングはなかなか理にかなっているのでは、と思った。本州から各地へ。アイランド(島)で構成されている日本にぴったりな気がする。

 

ということで、私が大きな島以外で行ったことのあるのはざっとこんなところ。

佐渡島(新潟)、家島(兵庫)、小豆島(香川)、直島(香川)、向島(広島)、因島(広島)、生口島(広島)、厳島(広島)、隠岐島(島根)、座間味島(沖縄)

兵庫と徳島の間にある淡路島も離島に含まれるのか問題があるけど、兵庫出身者としては淡路島を離島として見ていないので入れないことにした。行ったことのある離島はほぼ西日本だけど、まだまだこんなものなんだなと改めて思う。

よし、もっと私も離島へ旅に出よう。

 

ちょっとそこまで旅してみよう

「ちょっとそこまで旅してみよう」

益田ミリ

 

 

私とは旅の仕方やお金の使い方が違うけれど、唯一同じ匂いを感じたのは、食べ物に目がない、というところ。おだんご、アイスクリーム、シナモンロール。いいね。私もミリさんのエッセイを読みながら、鹿児島にある両棒餅のお店をGoogleマップで調べてピンを立てた。行かねば。

 

"文庫おまけ旅"として、米子のことも載っていた。鳥取に住んでる者として少し嬉しい。

 

ハングルへの旅

「ハングルへの旅」

茨木のり子

 

 

茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」が大好きで詩集も持ってるほどだったけれど、エッセイは初めて。韓国への旅を予定していたこともあり、古本屋の本棚でこの本が私を呼んでいるような気がして手に取った。

読み進めていくと、のり子さんは私の祖母と同い年であることが判明した。寅年。より身近に感じる。大正時代の終わりに生まれ、戦争を生きた人。

それなのに、昨日書かれたのかと思うほどユーモラスで若々しい文章に惚れ惚れした。書かれたのはきっと昭和の最後あたりだけれど、ちっとも古さを感じない。品と教養に満ちている。

 

柳宗悦浜田庄司など民藝運動をしていた方の名前がポンポンと出てくるところにも、知識の深さを感じた。あとがきに書かれていた

"

隣国語の魅力、おもしろさに、いろんな角度から光をあてて、日本人、特に若い人たちに「私もやってみようかな」と、ふと心の動くような、いわば魅惑の書を書きたかったのである。

"

という一文のとおり、まさに私をより滋味深いハングルの道に導いてくれたような気がする。もっと勉強して、知りたくなった。

 

愛情、慈しみと言ってもいいのかもしれない、そんな気持ちをたっぷり含んだ柔らかな言葉たちに何度もうるうるとさせられた本書。のり子さんはもう亡くなられているのに、本を通して考え方や優しさに触れられるのが不思議でたまらなかった。

また他のエッセイも読んでみたい。

 

こういう旅はもう二度としないだろう

「こういう旅はもう二度としないだろう」

銀色夏生

 

 

前半は消化不良だった旅を成仏させるために、後半はだんだん団体旅行のコツを掴んできた記録用に書かれたエッセイのように感じた。

筆者はある意味素直というか、つまらないことをつまらないと書く人なのだ。そういえば私の友達にもいる。その友達が「文句じゃなくて感想!」とつぶやく姿を思い浮かべる。

 

自分がいいなと感じたり、覚えておこうとインプットしたもの・ことを、どれだけの言葉を持って、どれだけの熱量でアウトプットできるか。しかもそのアウトプットがどれだけ心地よく相手に伝わるか。そんなことを読みながら考えた一冊。

私も精進しよう。

旅ドロップ

「旅ドロップ」

江國香織

 

 

私は子どもの頃からのクセで、読書中にわからない言葉や知らない物が出てきたら辞書で調べる、ということをしている。そのおかげで、なんとなく読み進める、というのができない体になってしまった。はっきりしないままでいるとむずむずするのだ。

 

児童書以外はひたすら調べながら本を読み進めていた小学生時代。幸いにも調べるという行為が嫌いではなかったのがよかったのだろう。その甲斐もあって、高校生の頃には古い文学の言い回しや難しめの文章でもするする読めるようになっていて、自分の語彙力が豊富で嬉しい、本を中断することなく読めて嬉しい、という感情が芽生えていた。

しかし、この感情をいい意味で壊してくれたのが江國香織さんなのである。

 

江國さんがさらさらっと書いているようなエッセイでも、初めて見る単語がたくさん出てくる。さらに彼女はそれらをあたかも読む人全員が知ってるように表現するので、メジャーではない食べ物が出てきてもそもそも説明などはしない。私は江國さんのそんなところが好きなのだ。

 

私は江國さんの本を読む時は必ずと言っていいほど、子どもの頃のように調べながら読み進める。しかし今の私には手元にスマホがある。文明の利器。あの重たい国語辞典を、時には広辞苑を手元に持ってこなくても検索できるのだ。

「おきゅうと」の意味を知ってにんまりする。なるほど、こんな食べ物があるのか。

新しい言葉を知ること、というのは大人になると減ってしまうからこそ、調べることが必要な江國さんの文章は、私にとって懐かしく嬉しいものなのだと感じる。

 

音楽は自由にする

「音楽は自由にする」

坂本龍一

 

 

2023年3月に亡くなった音楽家坂本龍一さんの自伝。

知り合いに本をいただいたので読んでみる。この本を送ってくださった方は坂本さんと同年代。だからこそ、彼の学生時代の話には共感したり懐かしく思ったりするそう。

 

坂本さんが小劇場で音楽を担当したり、日雇い的な演奏の仕事をしていた頃。ソロアルバムの話が持ち上がった時の印象的な一文を引用したい。

"

もうそろそろ、坂本龍一という名刺を持ってもいいかな、とその時思いました。誰かのための半端仕事を続けるのではなく、「俺はここにいるぞ」ということを示すような何かを作る方がいいんじゃないか、という気持ちになりました。

"

作曲に限らず、ものづくりをしている人は誰しもこんな気持ちになる時が来るんじゃないかと思う。私もいろんな事にちょこちょこと手を出しながら生活しているが、そろそろポートフォリオサイトなど作って作品を発信してもいいような気もする。いや、そろそろ、という言い方はいささか偉そうだろうか。

 

タイトルの「音楽は自由にする」というのを見て、「音楽は(私を)自由にする」という意味かと最初は思ったが、読後は「音楽は自由にする(に限る)」という坂本さんが人生で学んだ信条的な意味かもしれないなとも考えた。

家に帰ったら、ラストエンペラーと戦場のクリスマスの映画を観てみようかな。

にっぽん・海風魚旅2 くじら雲追跡編

「にっぽん・海風魚旅2 くじら雲追跡編」

椎名誠

 

 

久しぶりに読書。車での通勤時間が長くなってからは、もっぱらラジオというかポッドキャストを聞くばかりの日々だった。

この本を読むきっかけになったのは、カヤック仲間の西村さんが「ワシが出てるから読んだらいい」と貸してくれたからである。こちらも借りたからには次に会うまでに返さねば、という気持ちでいろんなところへ持ち歩いて、少しずつ読み進めたのであった。

 

山陰カニババ旅の舞台がそれこそ鳥取で、この本を貸してくれた西村さん以外に、私が所属するカヤック団体の代表の長谷川さんも登場していた。写真も多く、二人とも若い。そりゃあ本の発行から二十年も経っていれば、彼らもそれだけ若いか。

それにしても、作者の椎名誠と知り合いだというのがとてもうらやましい。私も一度お会いしたいくらい。「鳥取に来る連絡があれば絶対私を呼んでください」と彼らに念押ししておかなくては。

 

椎名さんのあっけらかんとした文章の書きぶりには、胸がすっきりとした。

うまい飯うまい酒だけでなく、食堂選びに失敗したり、校庭で小学生たちと野球をしていて校長先生に怒られたり、波を撮ろうとして濡れたりしたちょっと恥ずかしいようなエピソードも文章にしている。大人なのに子どものような、純粋な目で物事を捉えているような、そんな感じ。でも、私はそんな感じが好きだ。

私もたまに椎名さんの本を読み返して、彼のような人生を楽しむ姿勢を忘れないようにしよう、と思った。

 

場所はいつも旅先だった

「場所はいつも旅先だった」

松浦弥太郎

 

 

アメリカで暮らした日々や、各国を旅したエピソードを綴ったエッセイ。

 

「旅を旅とするには、なにが必要なのか。そんなことを真剣に考えるか否かで、その人の人生は大きく変るような気がする」という著者の言葉には大きくうなづく。

私はひとり旅が好きで、それは感性の赴くままに行動できるからでもあるし、自分と向き合う時間が取れるからでもある。電車で、フェリーで、飛行機で揺られるその度に、窓の外を眺めながら、旅とは、人生とはを考えたりする。

 

旅は日常からの解放。

住んでいる家や働いている職場から体を物理的に移動させることで、日々考えていることやこなさなければいけないことから一時的にも離れることができる。それはリフレッシュでもあり、現実逃避でもあり、クリエイティブな思考に転換するための儀式でもあるような気がしている。

 

旅は己の実力を見極める場。

移動手段から宿泊先、何をするかまで自分ひとりで手配するため、どのくらいスムーズに、どのくらい楽しめるかを計画する力・実行する力が必要となる。予測していなかったアクシデントもあるわけで、その場合は臨機応変な対処能力も必要。だからこそ、旅をする度に経験値が上がっていくと感じている。

 

旅はライフワーク。

もう、旅のない人生なんて考えられない。

新型コロナの影響を大きく受けていて、海外に旅に出られないことは悲しいしストレスでもあった。でも、国内の旅に目を向けるいい機会になったとは思う。日本一周した頃には感じなかった離島の魅力を今は感じている。旅が完全にできなくなった時が私の心が死ぬ時だと思う。どんな状態になっても、旅を楽しくし続けていきたい。

 

世界で一番好きな店

「世界で一番好きな店」

企画・編集 ふもと出版

 

 

プロの作家ではない人たちが自分の思い入れのあるお店について執筆したアンソロジー

一番おいしいと思う店ではなく、"好きな店"としたところに編集者のセンスを感じる。

 

そしてなによりも鳥取県倉吉市にあるお店についても書かれていることに、驚きと嬉しさがこみあげてくる。店はラ キューという名前らしい。調べてみると家からわりと近い。いつか行かねば。

 

ヤモリ、カエル、シジミチョウ

「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」

江國香織



さまざまな登場人物たちの視点が切り替わりながら進んでいく小説。その中でも、幼稚園児の拓人目線で進んでいく話が私は一番気に入っている。子どもには子どもの世界やルール、子どもなりの大人への気遣いみたいなものがあるんだった、と思い出させてくれる。


自分が幼稚園児だった頃の記憶はほとんどないけれど、園舎の階段下にあった大きな水槽にいたグッピーの尾ひれがキラキラとしてきれいだったことや、グラウンドの端にある針葉樹の下の茂みで何匹もバッタを捕まえたことは今でも覚えている。何度も一緒に遊んだ友達のことや毎日見ていた先生の顔よりも、そういったことばかりが鮮明に残っているのは不思議でもある。


でもきっと、覚えてないだけでもっと不思議な出来事があったかもしれない。小さな生き物ーーヤモリやカエル、シジミチョウなどーーの言葉が分かる拓人のように。

私の妹は、阪神淡路大震災が起こる直前に夜泣きをして、台所にいた母親を寝室へ呼び戻したらしい。母は「そのままキッチンにいたら大怪我するか死んでいたはず」と言っていた。妹はきっと何かを感じたのだと思う。

幼い子というものは人間よりも動物に近い気がする。もしタイムスリップできたなら、幼児の頃の自分や妹たちを観察しに行きたい。


年収90万円でハッピーライフ

「年収90万円でハッピーライフ」

大原扁理


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救われる。

その一言に尽きる。


WEBデザインの会社に転職した時、社長から「今、君何歳?いい年なんだから、年齢×万円くらいもらわなきゃって感覚で働かなきゃだめだよ」と言われ、入社当初からくじけそうになったのを思い出した。

私は何のために働いているのか。食べるため。そうだ、間違いない。でも、なんだかこれじゃない感。落ちどころを見失ったまま、ずっと心が宙ぶらりんの状態だった。

年収90万円ということは、12ヶ月で割ると75千円。それだけの収入で生きていけてる人がいる、ということがわかっただけでも安心できる。そんな本。"年齢×万円"を稼がなくても、自分次第で楽しく生きていくことができるのだ。


野草を摘んで食べる。

ライフスタイルに合った服を着る。

ずっと一緒に居たくなるような家に住む。

うん、私にもマネできるかも。


お釈迦さまの言葉の引用も覚えておきたい。

「人間は、自分以外のものを本当の拠り所としては生きていけないのだ」と言ったということ。

最近よく、執着しすぎない、ということを考える。あれもこれもとモノを持ちすぎない、相手に期待しすぎないとかもきっとそういうことだろうな。

失敗したりうまくいかないことがあるとすぐ「私なんて」という気持ちになってしまいがち。自分を見つめて、自分を信じて、自分を大事にしてあげようと思う。自分の心のおもむくままに。


汽水空港台湾滞在記 vol.1

「汽水空港台湾滞在記 vol.1

モリテツヤ


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私も今すぐ台湾に行きたい。

優しい世界がある気がする。


ごはんはおいしいし、人は親切だし、日本人は漢字が読めるので旅をするのにも楽。モリさんもきっとそう感じたに違いない。


文中に出てきた

"

「母国語以外の言語を扱えるのうになって安心感のようなものを感じている」(中略)選択と視野が広まれば生きていく道も見つけやすい。

"

という言葉がお気に入り。確かにそうだと思った。