「村上龍料理小説集」
男の世界は金と女と酒でできてるのか、と思った。
高級料理を何事もないことのように盛り込んであるあたりに村上龍の教養が現れていて、かろうじて品が保たれている気がする。これがなかったらただのおっさんの女遊びの話じゃないか。カンブリア宮殿のイメージどこ行った。
帯には「誰もが息を呑むような、恍惚と快楽のオシャレな小説集」とある。果たしてそうだったのか。この本を読んだ男の人の意見を聞いてみたい。
結局のところ、女にはわからない世界なのかもしれないな。
「きまぐれ博物誌」
今から約50年前の昭和43年から45年にかけて書かれたエッセイ。ショートショートは読んだことあったけど、エッセイは初めて。
まず冒頭の一文がいい。
「ことしもまたごいっしょに九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。これは地球が太陽のまわりを一周する距離です。速度は秒速二十九・七キロメートル。マッハ九十三。安全です。他の乗客たちがごたごたをおこさないよう祈りましょう。」
この"ごたごたをおこさないよう"という所が、現代でいうと北朝鮮とアメリカのピリピリした敵対ムードにぴったりの表現だと思った。
ぜひとも来年の年賀状に使いたい。
星新一の小説の書き方は、話を"思いつく"のではなく、社会や現象を"分析する"という創作方法なのではないだろうかと思った。世界を分析した結果、あの風刺が効いた言葉やショートショートが生まれるのだ。
そして、現代(当時からすれば50年後の未来)を的確に予測する、想像力の豊かさというか、観察眼の鋭さに感心しっぱなしだった。
多田千香子
「世界のおやつ旅」
ただのエッセイ・レシピ本と侮るなかれ。
この本は古本屋で冒頭の1段落を立ち読みして即買いを決めた一冊。
歯切れのいい文章が続く。
筆者のチカコさんはサバサバ、パキッとした性格なのかな、と思う。
生まれたての我が子の体重2990グラムを「バーゲン価格みたい」と言う例えも秀逸。
牛のタルタルを食べた時も、4分の1ずつとは言わずに「90度ずつ」と表現していて、言葉の選び方にグッときた。
"ご縁が2つ重なったらゴー"
"「そのうち」とか「徐々に」とか、うだうだしているヒマはない。しっかり1秒ずつ好きな道を歩こう。"
旅好きにとってはすごく心に響くフレーズも。さすが旅人。
日本は広い。でも世界はもっと広い。
「仕事嫌だな、辞めようかな、どうしようかな」なんてうだうだしているヒマはない。
私の旅歴も今年でちょうど10年だし、いっちょ、なんかやったろうかな、と思う。
案外どこででも生きていけるんだよ、って誰かが言ってたし。
「孤独な夜のココア」
田辺聖子の小説を読むのは初めて。
スヌーピーのおばあちゃんってイメージしかなかったけど、読んでみるとイメージとはだいぶ違った。
ジャンルとしては恋愛小説。
短編の主人公たちとは年齢的にもドンピシャで、26~30歳あたりの女性にはぴったりだと思う。主人公それぞれの「20代後半の恋」にすごく共感できる。
そして、自分が関西圏で生まれ育ってよかった、と感じた。
会話はすべて関西弁。
きっと関西に住んでなければ伝わらないニュアンスなんかもあるんだろうな、と思いながら読んでいた。特に京都弁の語尾は難しい。例えば「着物の工程は十一もおすねえ」とか。私でも2、3度読み返した文があるので、きっと標準語に慣れてる人は読むのに苦労するはず。
あと、江國香織が好きな人にもおすすめしたい。主人公たちの雰囲気がどことなく似てる気がする。
でも、江國香織よりかはマイルドで、江國香織がブラックコーヒーだとすると田辺聖子はカフェオレかチャイ、といったところか。(チャイなのは、関西弁というスパイスが効いている、という感じ)
これから私の中で田辺聖子ブームが来るやも。
恋するたのしさ★★★★☆
「すきまのおともだちたち」
大人のためにある絵本、のような気がした。
不思議の国のアリスにも似た理屈の通らなさとか、奇妙な登場人物。この世界ではお皿が車を運転できる。江國流ファンタジーがぱんぱんにつまっている。
そして、チラ、チラ、と現れる名言。
「私たちを本当にしばるのは、苦痛や災難や戸棚ではないのよ。幸福な思い出なの。」
意味深。でも、なんとなくわかる。
「あの頃は良かった」なんて言う人は、美しかった過去に囚われたまま、今を進めずにいるのだ、きっと。
それにしても、題名も世界観と同じで独特。
初めは「すきまのおともだち」だと思っていたけれど、よくよく見ると「おともだちたち」なのだ。漢字で書くと「お友達達」。なんだかおかしい。
でもここが、江國さんの感性が光るところなのかもしれない。
"おともだち"という、"知り合いではないけれど同じ空間にいる似た属性を持つ者"(例えばヒーローショー見に来ている子どもの総称として「おともだち」と使われる)というような存在が複数いるという感じ。読めばなんとなく理解できると思う。
まあ、あくまで想像でしかないけれど。
東直子さんの解説もいい。
"女の子"であることへの憧れ★★★★☆
柊和典
「ケンチとすみれ」
ひっっっさしぶりの投稿。
最近は会社の課題図書しか読めてなかった。
この本は、うちの一番下の妹が「ぜひ読んで」と興奮しながら貸してくれた。というのも、同じ"すみれ"という名前だし、去年まで小説の舞台にもなってる高知に4年住んでいたこともあったから。
私は妹のように興奮はしなかったけれど、久しぶりに古い雰囲気を持つ小説を読んだなぁと懐かしくなった。あとがきによると、昭和42年のテレビドラマが原作らしい。
最近、戦時中あたりの話を見たり読んだりする機会が増えた気がする。本作もそうだし、年始に見に行った映画「この世界の片隅に」や朝ドラ「べっぴんさん」も。そういえば、3月に沖縄行った時には平和祈念資料館にも行ったんだった。
なんだか戦争について気になってるからなのかなぁ。世界は、日本はどうなるのかなぁ。
モヤっと★★★☆☆
「神様のボート」
江國さんの感性がとても好きだ。(だからファンなのだけど)
今回もぐっとくる言葉がいくつもあった。素敵だなぁ。
「たしかに、何かを所有することで、ひとは地上に一つずつ縛りつけられる。」
「冬は生き物がみな眠る季節だ。(中略) 冬は知恵と文明が要求される季節だからだと言っていた。」
「人間とちがって、音楽は確かだ。つねにそこにあるんだからね。鍵盤に触れるだけでいい。いつでも現れる。望む者の元に、ただちに。」
あと、江國さんの描く大人は、だいたいが子どもっぽく自由で、逆に子どもたちは大人びた雰囲気を持っていることが多い。大人が子どもで、子どもが大人。そう言うと一見逆転しているようにも取れるけれど、違うのだ。どちらもが大人と子どもの中間地点に近いところにいる感じ。なので、大人だから偉いとか子どもだから単純だとか、そんな世間が勝手に決めたようなイメージは江國さんの前では通用しない。みんなが等しく、ひとつひとつの存在である。多少の違いはあるけれども優劣なんてない、と示してくれているような。うっとりする。
読めば読むほど江國さんにハマっていく。
背骨の愛おしさ★★★★★
「人生ベストテン」
私の人生ベストテンってなんだろう。
1位はもちろん世界一周で、2位が日本一周っていうのはパッと出てくるけれど、あまり他に考えたことなかったと改めて思う。旅の人生を送っているけれど、3位以降はきっと旅とは関係ない。でも私の性格だったり考え方を形づくっている出来事だろうなぁ。震災とか。おじいちゃんの農作業手伝ったこととか。
好きな一文。
「ひとりで電車に乗っていることは、さみしくもなく心細くもなかった。ただ茫洋とした気分だった。自分が米粒大のちっこさになって、ダイニングテーブルを果てしなく長い時間横断しているような、ダイニングテーブルを落ちても世界はまだ存在して、さらに果てしない時間をかけて私はその外界へと乗り出して行くのだ、というような、そんな気分。」
私が小さい頃は、蟻の気持ちになってこういうことをよく考えてたはずなのに、いつの間にか考えなくなってしまったなぁ、と思った。オトナになってしまったんだろうか。それだったらちょっと寂しい。
想像力の豊かなオトナでありたいものだ。
人生の多様さ★★★★☆
アンソロジー
「そういうものだろ、仕事っていうのは」
"仕事"をモチーフとしたショートストーリー6篇。
私自身、今の会社に入社してまだ2ヶ月なのに、すでに仕事に悩んでる。そもそも私には仕事運というものがないのだけれど、そういう星の元に生まれたからしょうがないのか、と思いながら今日も仕事をしていた。
そんな状況で出会った1冊。中には苦しい気持ちになる話もあったけど、一番最後の津村記久子「職場の作法」にちょっと元気づけられた。
新入社員の頃、職場のお姉さま方に「毎日何かしら事件があるけんね。会社っておもしろいでしょ」と言われたことを思い出した。そうだ、今の私は会社や仕事を難しく考えすぎなのだ。もっと気楽に、毎日のちょっとした事件を楽しめるように(まあ、その余裕がなくてあっぷあっぷしてるんだけれども)生活できればいいなぁと思う。
しゃーないから明日も会社行くかー。
(新入社員の)なつかしさ★★★★☆
「ホリー・ガーデン」
主人公の果歩が、今働いている会社の人事のお姉さんにイメージがぴったりで、何度も姿を重ねて読んでしまった。案外他人に対して冷静というか、マイペースというか。そんな感じ。
その果歩が、かつて付き合っていた津久井のことを思い出した時の一節が気に入っている。私もこういうことを思ったことがあったなぁ。
『いつもそうなのだ。いったん缶をあけたが最後、津久井の亡霊がそこらじゅうにはびこってしまう。亡霊は記憶となって果歩の日常を侵蝕し、片時もそばを離れない。』
江國さんの小説全般に言えることだけど、江國さんの書く文章は私の気持ちを代弁してくれている、とよく思う。自分の心の中にはあるけど言葉に落としきれないモワンとしたものが、小説を読むと言葉になって見つかる。
せつなさ★★★★☆
エラ・フランシス・サンダース(前田まゆみ訳)
「翻訳できない世界のことば」
言語って面白い、違うって素晴らしいと思った。
それぞれの国やエリアにそれぞれの言語があって、そこに暮らす人々はその言語をもって意思疎通を図っているわけで。しかもその言語の中のひとつの言葉が、他の言語では簡単に訳せないほどの豊かな意味をもっている。
それって、想像しただけでもぶわーっと幸せな、満ち足りた気持ちになる。
日本語の「木漏れ日」もそのひとつ。
木々が頭上で生い茂っていて、その葉と葉の隙間から太陽の輝く光がキラキラフワフワと差し込んで、地面に落ちる。木漏れ日の中にいる自分は、周りの緑やあたたかな光に囲まれて妙にリラックスした気分でいるのだ。そんなところまで全部含めての「木漏れ日」という言葉。なんて豊かなんだろう。
本を読んだ中では、一番気に入ったのは「ヴァシランド」というスペイン語。
意味は「どこへ行くかよりも、どんな経験をするかということを重視した旅をする」ということ。
「こないだの沖縄はヴァシランドだったね」なんて使い方をするのだろうか。
あと、これとはちょっと違うけど、デイリーポータルZにある「まだ名前のない事象に名前を付ける」という記事を思い出した。これもこれでおもしろい。
http://portal.nifty.com/kiji-smp/170623199980_1.htm