「左岸」
いつから読み始めただろうか。
年度の初めの頃には、お昼休みに上巻を持って木陰へお弁当を食べに行き、そのままそこで読むのが日課になっていた。
それから毎日のように雨が降る、または降らなくとも地面が濡れている梅雨の時期へ突入し、地面に座れなくなった私は車の中でひとり黙々と読み続けた。夏となった今では昼間の車内は暑すぎて、本を読むのが耐えられなくなるほど。久しぶりに乗った電車の中で読み終えた。
そんな春から夏へかけての記憶の中に「左岸」はあった。
「左岸」は辻仁成の「右岸」と対になる小説で、上下巻がそれぞれ500ページほどもある長編。本当に長かった。やっと読めた、という感じ。
なぜこんなに本を読むのが辛くなってしまったんだろう。私にとって、読書は没頭できる趣味のひとつであり、豊かな文章に充足を感じたり想像力の広がりに癒されたりするものだったのに。
忙しいはずじゃないのに仕事や日常生活に追われていて、本を読むという余裕がなくなっているからかもしれない。
そして、そもそも私は長編小説よりもショートショートの方が好きだった。そんなことも忘れてしまってるくらい読書というものから離れていたな、と反省した。
もっと日々に余白を。
気持ちに余裕を。